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2007年10月

叢(くさむら)に

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まよわずに すっとくる子もいる。

まるで

ここにくることが きまっていたかのように。

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ゆりの咲くのは、夏だよなぁと思うけど。

じぶんのために 締める帯があってもいいか。

草叢の中に身を沈めて

ひとりになりたいときがあるように。

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月光いろにゆらめく

ささゆりの葉ずれが 

聴こえて。

 

 

・・・・・問題は、

帯すがた うつくしくよそおうに

まだまだ 修行がいることだな。

トラ

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だんだん天邪鬼になるのかしら。

すっきりあうとわかってるものより

けんかするかも、といった手合いを

ぶつけてみたくなる。

黒や濃紺ならあたりまえ、

火花でもとびそうだけど 

いまなら ちょっとこんな気分。

千里を走って、遠吼えでもしますかね。

 

見つけたとたん 釘付けになった。

しぶっ!

けど、似合うかどうか。

大いなる疑問符とつれだってきたトラの格子は

鏡のまえで大団円を迎えた。

着きれないのではとあやぶんだ地色は、

どうやら肌の色とあったらしい。

深い暗緑などとあわせてみたいけど

あいにく、手持ちにはない。

そのうちね~などと、また悪い虫が起きそうになるのを

むりやり寝かしつけて。

きいろと黒。

・・・やっぱ、ちびくろさんぼのホットケーキだぁ。

カメラのバッテリーが切れました。

ほかのとりあわせは、また。

秋たけて

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日差しがのび

もののいろあいも うつってゆく。

水底にしずむ屈折のように

夏は遠ざけたいろを てもとに寄せたりもする。

かえしたり

はなしたり

ひとは、なぜ

水泡のかげを 追うのだろうか。

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これ といって決めたのは 考えてみれば

まいにち 身につける服の柄だった。

そのせいか じみかと案じたのも杞憂にすぎ

ちいさな発見をしたような気になった。

和と洋の接近。

それは、なんの跫音(あしおと)なのだろう。

 

若いころ重宝したみづいろの帯締めでは やはり

アンサンブルを組むに むりがあるようだ。

 

深い草のいろどりがほしいと思うこのごろ・・・

わんぱたーん

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といっていいくらい、お世話になった。

紫露草のようなほっそりした草の地紋に、

ところどころ 手描きで蕊やはなびらを起したぼかし染め。

共色で縫い紋を入れて、小振袖の仕立てにしてもらった。

この日は、友人のお式で

白地の鳳凰の袋帯を 紫津香結びにしてもらった。

前帯に柄が出ないといって、会館の方が苦労されていた。

 

武家の女のような大ぶりの文庫は、

着席のとき、ふくら雀より張り出して難儀をする。

一度きり結んだだけの 思い出となった。

重宝したわりには、このきものは写真に正確に色が出たためしがない。

そういう意味ではやっかいなヤツだ。

記念写真をだいじにするなら、問題かも知れない。

もっと濃い、深いローズピンクなのだが

あげく 織柄が光る、というおまけつき。

 

そういう難はあったものの、けっきょく

ですぎず、いりすぎず

わたしのなかの 装うという想いと

よくあった 一枚だった。

気に副う

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橋のようにも みえる。

場処と場処を むすぶ 橋。

 

「これ、買います」

と言ったとき、やまいちのご主人は、

「ながいこと、着れるわ」

とつぶやいて、伝票を切られた。

買い手も、売り手も、いまではない

このずうっとさきに

澪標(みおつくし)のように これが待っている

そんな了解を 暗黙のうちにしたのかもしれない。

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「七十になっても締められる」はずだったが、

意外と出番は早くにきて、むしろ若さを抑えるような締め方をした。

時代はかわり、あわせ方もまたかわりつつあった。

 

取り合わせにこまって、安直に白地の帯をあてるのは好きではない。

一筋縄ではいかない同士の

どうして、という思いがけなさでありつつ

納得のゆく そんな呼吸であわせられたらと思う。

けれど

だからといって、この帯がいらなくなったのではなく

オールマイティなのに でてこない贅沢といったらいいか。

 

橋は なにをつなげるのか。

あるようにみえて つながらないもの。

つながっていて みえない縁。

 

橋は 

その気になれば

わたれるもの。

 

つもりが あれば。

初秋

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そして 諸愁。

なぁんだ

迷い 思いなやんだすえに

もう、がまんできんっというわけで

音楽工房の利用登録をすませ 録音に入った。

だんだん 本人の自己満足だけではすまなくなってきて

小なりとはいえ 責任が生じ

意識の切り替えをせまられたというべきか。

あたりまえじゃないの、といわれるかもしれないけど

コストの発生には慎重にならざるを得ないし、

そのリーズナブルな解決は どこからか降ってくるわけではない。

しかし。

これでは 著作権のある作品を利用するにあたってお骨折りいただいた方、

お許しをいただいた方に 顔向けができないレベルの雑音に、

とうとう 重い腰が上がった。

朝、駆け込んだときには

あてにしていた部屋はタッチの差で埋まっていて

空いていたのは、倍の料金だった。

けれど、こられるときがない。

贅沢な空間を 使うことになった。

そして 知ったのだ。

なんだ。こんなに楽になるんだ。

水槽のモーター音。

車や、バイクのエンジン音。

道ゆく人の話し声や、笑い声。

家族の帰宅。

 

日常の予定にかこまれて

あれも これも 待っているというなかでの作業に比べ

グランドピアノと 壁だけの空間は

それだけに 意識を集約できるメリットもあった。

隣室のパーカッションの振動は 気になったけどねぇ。

すべて一発録りで、3時間がすぎた。

栁沼さんのおかげで、

5時間くらいのぶっとおしも どぅってことない。

(家でなら、むりだけどね)

帰りがけ 他の部屋も見せていただいた。

そして、これからも今日の部屋にしようと決めた。

ドラムセットのあるところより

たとえ 弾かなくても グランドのあるところがいい。

そして つぎからは ゆかたのちょい上をひっかけてこよう。

おけさのとき そうしたように。

こうも思う。

ホールに立てば きっともうひとつ 違う。

あの場所は

いや、それはまた。

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