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手さぐり

すでに始動しているプロジェクトなのだが。

考えていたよりも、相当に手ごわい。

最初は、淡々と、ぐらいしか想定していなかったキーポイントは、

耳でたしかめるうちに、つぎつぎとハードルを発見していく。

長文としてききとりやすいテンポ。

耳ざわりでない声質。

考えているのは、目で読んでいるのと変わりない

違和感のなさと、しかも 無表情ではないこと。

さらに、日本語としての品位。

ただたんに音声化したからといって、講義と同じように

聞きながら意識がとんでしまうのでは意味がない。

かといって、~調、~節とかいうようなものは願い下げだ。

さらにいってしまえば、やることに意義ありとする安直な意識もね。

だれに向かっていっているわけでもない。

ひたすら自己へ課していく負荷であり

表現者としての限界を問う 立案者からの切り分けだ。

ドキュメンタリーでもなく

文学でもない。

しかし、わたしはこのことばの伝えられた 

背後の沈黙を

感じとれる気がする。

 

沈黙は無ではなく

不在は無ではない。

 

ならば きっと

うつしとることができると。

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コメント

プロジェクトを組んで何か・・・を
されるのですね。
「おけさ恋うた」のような感じなのかしら。

はい。
まだ混沌の状態なのですが、意思だけは明確。(ここだけは、おけさと似てます)

6月ころから温めているのですが、いざ手をつけてみるとたいへんな山だったわけです。

しかし、こうやってことばにできる段階にきましたので、徐々に形がついてくると思います。

こうなってはならぬ、という自身への叱咤激励であると同時に、共同作業者へのアピールでもあります。
今回は、説得しなければいけない相手がいますのでね。(笑)
プロジェクトは、右欄の一番上のバナーからご覧になれます。
いつまでも隠していないで、そろそろオープンにしましょうね。

う~ん、おもたい題材ですね。
でもsuzuka様はやると決めたらやり通す方だと8月の「おけさ恋うた」で思いました。
頑張ってくださいね。

はい。
こうやって、コメントをいただくことで、またひとつ、退路を絶っているわけです。(笑)

時間は、無限に使えるわけではありません。
生活のなかで、幾つもの制約を受けています。

経済学を専攻した最大のメリットは、その効用が最大の箇所を押えてやればいいのだという着眼でした。

プロでないことのよさは、捨て身になれることでしょうか。

経歴などもたないわたしは、結果さえ出せればいいのだと思っています。
それは、「売れる」ための結果ではなく、「伝える」ための結果。
そして、それはわたしが聞いて諾(うべな)えるものであることが基準です。
たとえ、100%ではなくても。

すき好んで、やっていることですが
これもまた 縁かと、思っています。

アウシュヴィッツ、と耳にするたびに、
目にするたびに、もうずいぶん昔に見た、
「やせこけた死体」の写真を思い出します。
人間って、あそこまでやせるものなんだ…と
それを考えることで、恐怖を抑えていました。
関連の本も読んだり、
テレビのドキュメンタリーを見たり、
それでもいまだ以って「信じられない」現実、
「あったこと」なんですよね。
もう一度、この年齢で、私も確認してみたい
と、そう思いました。

とんぼさま

わたしもそうでした。
いろいろなものを読んだり、見たりしました。

そして、自分自身の中で、ある意味ステレオ化してしまった部分があるような気がします。

けれども、それは間違いでした。
半世紀をたっても口にすることのできなかったことが、あったのでした。

そして、それは「資料」と呼ぶべきものでなく、未来へのてがかりとしてつたえるものであったということが、わかったのです。

淡々とかたられる凄惨な記憶。
けれど、わたしはその底に、あるいは傍に
希望がたち添っているような気がします。

それこそが わたしの、否 わたしたちの手渡したい「意思」なのだと。

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