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2007年1月

母のきもの

今できではない

かといってアンティークとまでいかないきものをみていて

矢も盾もなくほしくなることがある。

きまって

母の持っているのに似ている。

母のきものは 父が見立てていた。

日本橋で呉服屋の番頭だったという

祖父の郷里は福井。

亡くなったのは 終戦直後

家族で薪を積み、葬ったという話を聞いている。

まだ学生だった父が 商売を見覚えたはずもない。

しかし 父が首を振ったものはまちがいがなく

振袖の帯締めをきっちりと締め上げるのも

父の役目だった。

京都に出かけた父が風呂敷に包んで持ち帰った反物。

蘇芳に白の飛んだ臈纈(ろうけち)の羽尺。

淡い小豆に 深い葡萄(えび)色のよろけ縞。

藤がかった銀鼠に白梅の枝を染めた綸子。

・・・

母は

「着ないからいつでも持っておゆき」というが

「またにする」

わたしの答えはいつも決まっている。

振袖よりも母の姿に憧れて

まといたいと思った娘のころ。

「まだまだ」と ひとことの下に斥けられて

時は流れ

あのころの母の歳をはるかに過ぎた。

母のきものに憧れつつ

それを持ち出せないでいるのは

母のようには装えないからというよりもむしろ

あのきもの姿の母を 心の引き出しに

そのままにしておきたい。

そんな思いのせいなのかもしれない。

引き算

街並みのなかで

描形として じぶんがあると

そんなとりあわせができると いいな。

あふれかえる情報のなかで主張する。

アピールが 埋没する。

かつて

切りすてた家屋の空間に

あざやいでいた いろ。

立場という 位置を

身の程という均衡のうちに

つかみえていた 調和を

いつから この国のおみなは

わすれてしまったのだろう。

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